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​学会について

ご挨拶

 

2021年5月

 

会長離任の挨拶あるいは私のスポーツ言語観

山口 政信

 

 物理的な重さは高が知れているタスキですが、会長という目に見えないタスキは、駅伝のそれに勝るとも劣らぬ重みがありました。発足当初から思いもよらぬ長居(3期)を終え、山根智恵さんに手渡すことができて肩の荷を下ろした思いがしています。

 このリレーが無事にできたのも、会員の皆様による叱咤激励に負うところ大きかったように思います。なかでも陰になり日向になって一人三役をこなしてこられた清水泰生代表理事には、頭の下がる思いで一杯です。

 

 さて今般、せっかくの機会をいただいたので、私の立ち位置に基づいたスポーツ言語観について触れてみたいと思います。

スポーツ言語という学びは、身体に意識を集め、身体が言わしめる言葉に耳を傾けることから始まります。それは痛みや快感、叫びや歓喜といった感覚語となって生まれ、からだ言葉/身体語へと発展します。からだ言葉や身体語は、腕を上げる・膝が笑うなどの身体部位を用いた慣用句で、比喩的な意味をもつ言葉として数えきれないほどに存在します。これらの言葉は、作業やスポーツを含む技芸における勘やコツといった前意識が蓄積し、術語/わざ言語を生み出す土台になってきました。

 技能が向上すれば術語の質もおのずと変容することは、スポーツ人ならずとも経験済みのことと思います。考えるとは言葉で考えるのですから、自分語でもある術語/わざ言語は、「わざ」—心を含めた技能―の水準を示唆するのは必然です。「言葉は人の鏡」と言われる所以です。

 世阿弥は「わざ」を表現する言葉が見つからないときは、自分で言葉を編み出したと聞きます。この理を援用/発展させれば、「わざを研くとは言葉を磨くことに如かず」と言い換えることができます。

 近代のスポーツ教育にあっては、術語を一子相伝に終わらせることなく、他者との協働/相互作用による気づきを促進することが求められています。術語は非陳述的な個人語ですから、その仔細な意味を共有するためには、陳述的な科学的言語が必要になります。

 この両者間における理解から納得に至る道筋には紆余曲折がありますが、スポーツ言語学会は、これらの非陳述的な暗黙知と陳述的な形式知をハイブリッドするための広場として発足しました。今後はその存在を確かなものにするためにも、見ていたのに視えていなかったことを注視し、聞いていたのに聴こえていなかったことに傾聴するなどの自覚的な取り組みを大切にして、スポーツのさらなる地平が開かれていくことを念じています。

会長挨拶
~スポーツと言語の融合が生み出す新たな知見の場~
   

山根(吉長)智恵

 スポーツと言語、この意外な組み合わせのように思われる2語が一緒になった学会を、初代の山口政信会長から引き継いだ、2代目の山根(吉長)智恵と申します。

 人は生まれてから約2年で飛躍的に語彙数が増えますが、自然習得する母語については、特別なことがない限り、大人になるまでその諸現象に気付くことは少ないのではないでしょうか。けれども、居住地を移動すると、アクセント・語彙・文法の相違を感じるようになります。私が言葉の不思議さに興味を持ったのは、父の転勤で島根から東京に居を移した小学校3年の時でした。「アノ」と頭高で発音した私に、「ピアノでしょ」と、東京では「アノ」の部分が高いとアクセント修正された日のことを、今でも覚えています。その後、「おえん(だめ)」「でーれー(とても)」「はよしねー(早くしなさい)」のような独特な言い方で有名な岡山弁、「来(き)ない」という共通語にはない活用を持つ茨城弁に浸り、また世界遺産の町ポーランドのクラクフで2年過ごした時には、観光客が話す言葉を聞きながら、「これは何語かな?」と言葉当てするのを楽しみに旧市街へ出かけたものでした。
 一方スポーツに関しては、小学生の頃は多摩川に巨人軍の練習を見にいくほどの野球好きでしたが、本格的にスポーツに取り組んだのは大学で卓球を始めてからです。理由は、運動部の熱い人間関係に惹かれたからでした。大学時代は夜間練習も含め、勉強そっちのけで卓球に打ち込んでいました。強い先輩に恵まれ、全国国公立大学卓球大会や中国学生卓球選手権大会で団体優勝したことは、忘れられない思い出です。その後、東京のクラブチームや会社の卓球部でも、強いメンバーのおかげで団体3位などの成績を収めることができました。その時の賞状は今も宝物として私の部屋に飾られています。最近は岡山のクラブチームに入って試合に出たり、学生と卓球を楽しんだりしていますが、一番の楽しみは審判員として国際大会やTリーグに参加することです。
 では、このスポーツと言語はどのように結びつくのでしょうか。言語は人間の思考の源です。それだけでなく、感情表出の一手段です。自分がプレーする時も、たとえば「チョレイ」のように言葉を発することで、自分を鼓舞し、強い選手に向かっていくこともあります。応援する時は、横断幕に選手が己に勝つような言葉を書いたり、選手を勇気づける言葉を発したりします。その他、コーチから選手への言葉がけ、様々なスポーツ大会の名称、選手のインタビュー談話や名言など、スポーツと言語は密接に結びついています。
 このスポーツと言語の融合が生み出す新たな知見の場として、この学会がさらに発展するよう、また世界の研究者との交流の場となるよう、企画を立案し、実行できればと考えています。
 学会員の皆様、力を合わせてこの学会を盛り上げていきましょう。

 

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